東京・渋谷駅前の銅像で知られる忠犬ハチ公。
ハチ公は、亡くなった飼い主・上野英三郎博士の姿を探し、約9年10か月にわたって渋谷駅へ通ったと伝えられています。
「亡くなった飼い主が帰ってくることを信じ、約10年間待ち続けた犬」として、日本だけでなく世界中で知られるようになりました。
しかし、ハチ公の物語には、広く伝わっているイメージと、実際の記録が少し異なる部分もあります。
飼い主は毎日、渋谷駅から電車で大学へ通っていたのでしょうか。
ハチ公は本当に主人を待っていたのでしょうか。
それとも、渋谷駅で食べ物をもらうことが目的だったのでしょうか。
この記事では、大館市、東京大学、渋谷区、国立科学博物館などの資料をもとに、忠犬ハチ公の実話を詳しく解説します。
忠犬ハチ公の基本情報

Wikimedia Commons/パブリックドメイン
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ハチ |
| 通称 | ハチ公、忠犬ハチ公 |
| 性別 | オス |
| 犬種 | 秋田犬 |
| 生まれ | 1923年11月 |
| 出生地 | 秋田県大館市大子内 |
| 飼い主 | 上野英三郎博士 |
| 上野博士の死 | 1925年5月21日 |
| ハチの死 | 1935年3月8日 |
| 亡くなった年齢 | 満11歳 |
| 駅へ通った期間 | 約9年10か月 |
| 主な死因 | 重度の犬フィラリア症、肺と心臓の悪性腫瘍 |
| 剥製 | 国立科学博物館 |
| 保存臓器 | 東京大学農学資料館 |
ハチは1923年11月生まれで、1935年3月に亡くなったため、現在の満年齢では11歳です。
古い資料の中には13歳とする表記もありますが、本記事では公的資料に記された生没年月をもとに「満11歳」としています。
ハチ公は秋田県大館市で生まれた秋田犬

画像:Desaix83(原作:Томасина)/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0
ハチは1923年11月、現在の秋田県大館市大子内で生まれました。
オスの秋田犬で、父犬は大子内山号、母犬は胡麻号です。
純系の日本犬を探していた東京帝国大学教授・上野英三郎博士のもとへ、生後約50日の1924年1月14日に送られました。
長い列車移動を経て東京へやってきたハチは、上野博士に大切に育てられました。
大館市の資料には、博士がハチと食事を共にするほどかわいがっていたことも記されています。
「ハチ公」という呼び名は、博士の学生たちが教授の愛犬を「ハチ」と呼び捨てにすることを遠慮し、敬意を込めて呼んだことが由来とされています。
飼い主の上野英三郎博士とは

Wikimedia Commons/パブリックドメイン
上野英三郎博士は、東京帝国大学農学部の教授でした。
日本における農業土木学、農業工学の創始者とされ、農地の整備、灌漑、排水、耕地整理などの研究と技術者育成に大きく貢献した人物です。
上野博士は大の犬好きでもあり、ハチを家族のように大切にしていました。
インターネットでハチ公について検索すると「飼い主はひどい」という候補が表示されることがあります。
しかし、上野博士がハチを粗末に扱ったという事実は確認できません。
公的資料から分かるのは、博士がハチを非常にかわいがり、ハチも博士を慕って送り迎えをしていたということです。
ハチ公と上野博士が暮らした期間は約17か月
ハチが上野家へ到着したのは1924年1月。
上野博士が亡くなったのは1925年5月21日です。
二人が一緒に暮らせたのは、わずか約17か月でした。
短い期間でしたが、ハチは上野博士の送り迎えをするようになります。
東京大学によると、ハチは1924年5月ごろから、当時駒場にあった大学への通勤や、渋谷駅から出張する博士を送り迎えしていました。
上野博士は毎日渋谷駅から電車通勤していた?
映画や物語では、上野博士が毎朝渋谷駅から電車で大学へ向かい、夕方になるとハチが駅で帰りを待つ姿が描かれることがあります。
しかし、東京大学の資料では、ハチは当時駒場にあった農学部への通勤や、博士が渋谷駅から出張する際に送り迎えをしていたと説明されています。
そのため、

上野博士が毎日必ず渋谷駅から電車で大学へ通勤していた
と単純化するのは正確ではありません。
ただし、ハチが博士の生前から渋谷駅へ送り迎えをしていたこと自体は、東京大学や大館市の資料に記されています。
渋谷駅は、ハチにとって博士との大切な思い出が残る場所だったのでしょう。
上野博士の突然の死
1925年5月21日、上野博士は大学内で急逝しました。
大館市の資料では、脳溢血により倒れたとされています。
その日、迎えに行ったハチは博士に会うことができませんでした。
東京大学の資料によると、ハチは博士が最後に着ていた衣服が置かれた物置にこもり、3日間何も食べなかったと伝えられています。
ハチが、人間と同じように「死」を理解していたかどうかは分かりません。
しかし、いつも帰ってきた博士が突然戻らなくなり、家の様子も大きく変わったことを感じ取っていた可能性はあります。
上野博士の死後、ハチ公はどうなった?

Wikimedia Commons/パブリックドメイン
上野博士の死後、ハチは上野家で暮らし続けることができませんでした。
上野博士と事実婚の関係にあった八重子さんは、事情により、二人が暮らしていた家を相続できませんでした。そのため、大型犬のハチを飼い続けることも難しくなったとされています。
ハチは親戚の家などを経たあと、上野家に出入りしていた植木職人の小林菊三郎さんに引き取られました。
大館市の資料によると、一時期は浅草へ移りましたが、ハチが夜になると、約8キロ離れた渋谷方面へ走っていく姿がたびたび見られたといいます。
その状態が約1年続いたため、ハチの気持ちを考え、渋谷に近い代々木に住む小林さんの家へ預けられることになりました。
ハチが上野家を離れたのは、家族から嫌われたり、捨てられたりしたからではありません。博士の突然の死と、当時の住居や家族の事情が重なった結果でした。
ハチ公は約10年間、渋谷駅へ通い続けた

Wikimedia Commons/パブリックドメイン
上野博士が亡くなったあと、ハチは朝夕に渋谷駅へ通うようになりました。
博士が亡くなった1925年5月21日から、ハチが亡くなった1935年3月8日までの期間は、約9年10か月です。
一般には「約10年間待ち続けた」と表現されています。
ただし、約10年間、毎日一度も欠かさず、まったく同じ場所に座っていたことまで証明されているわけではありません。
公的資料に基づけば、
動物倫理ライター・めありハチは毎日のように朝夕、渋谷駅やその周辺へ通い、博士の姿を探し続けた
と表現するのが適切です。
ハチ公が有名になったきっかけ
ハチは、最初から「忠犬」として人々に大切にされていたわけではありません。
事情を知らない人に追い払われたり、いたずらされたりすることもあったと伝えられています。
ハチの存在を世間に知らせたのが、日本犬の保存運動に取り組んでいた斎藤弘吉です。
1932年、斎藤が渋谷駅へ通う老犬について新聞に投稿し、記事として紹介されたことで、ハチは全国的に知られるようになりました。
その後、ハチは「恩を忘れない忠犬」として称賛されるようになります。
ただし、斎藤弘吉自身は、ハチの行動を人間の道徳である「恩返し」だけで説明することに慎重でした。
東京大学が紹介している斎藤の文章では、ハチにあったのは、かわいがってくれた主人への純粋な愛情だったという趣旨が述べられています。
「忠義」という人間の価値観だけではなく、大好きな人にもう一度会いたかった。
そのように考えると、ハチ公の物語がより一頭の犬の気持ちに近づいて感じられます。
ハチ公像はハチが生きている間に作られた
初代の忠犬ハチ公像は、1934年4月21日に渋谷駅前で除幕されました。
ハチ自身も除幕式に参加しています。
初代の像は彫刻家・安藤照によって制作されましたが、戦時中の金属回収により失われました。
現在渋谷駅前にある像は2代目です。
初代を制作した安藤照の息子・安藤士によって作られ、1948年8月15日に除幕されました。
今では渋谷を代表する待ち合わせ場所ですが、かつて主人を待っていたハチの像が、人と人が会うための目印になっているのも印象的です。
ハチ公は焼き鳥目当てで駅へ行っていた?
ハチ公については、

本当は主人を待っていたのではなく、焼き鳥をもらうために渋谷駅へ通っていたという説があります。
この説と関連してよく語られるのが、ハチの胃の中から串が見つかったという話です。
1935年に行われた解剖記録には、胃の中から竹串が4本見つかったと記されています。
しかし、それが焼き鳥の串だったかどうかは、記録だけでは断定できません。
また、竹串によって生じた病変は確認されておらず、直接の死因でもありませんでした。
ハチが駅周辺で食べ物をもらっていたことはあったかもしれません。
しかし、胃から竹串が見つかったという事実だけで、約10年間にわたって渋谷へ通った理由が「食べ物だけだった」と結論づけることはできません。
主人との思い出が残る場所へ通うことと、そこで食べ物をもらうことは、同時に成立します。
ハチの本当の心の中を完全に証明することはできませんが、「主人を待ったのか、食べ物が目当てだったのか」という二者択一にする必要もないでしょう。
ハチ公の死因はフィラリア症と悪性腫瘍

Wikimedia Commons/パブリックドメイン
ハチは1935年3月8日に亡くなりました。
1923年11月生まれなので、満11歳でした。
当時行われた解剖では、心臓から肺動脈にかけて犬糸状虫が重度に寄生していたことから、死因は犬フィラリア症と判断されました。
腹水や肝臓の線維症も確認されています。
その後、東京大学が保存されていた臓器をMRIと顕微鏡で再検査したところ、肺と心臓に広範な悪性腫瘍が確認されました。
東京大学は、フィラリア症だけでなく、この悪性腫瘍も死因の一つとして重要だったと発表しています。
したがって、現在は、

ハチ公の死には、重度の犬フィラリア症と、肺から心臓へ広がったとみられる悪性腫瘍の両方が関係していたと考えられています。
竹串が胃に刺さったことが死因だった、という話は事実ではありません。
ハチ公の剥製はどこにある?
ハチの死後、皮は剥製にされました。
現在、ハチ公の剥製は、東京・上野にある国立科学博物館の日本館2階北翼に常設展示されています。
写真や銅像とは異なり、剥製からは、実際のハチの体格、毛並み、耳や尾の様子を見ることができます。
ただし、展示場所や開館情報は変更される可能性があるため、訪問前に国立科学博物館の公式サイトで確認してください。
ハチ公の臓器は東京大学にある
ハチの解剖時に保存された肺、心臓、肝臓、脾臓は、現在も東京大学農学資料館で展示されています。
剥製と臓器標本は、別の場所にあります。
- 剥製:国立科学博物館
- 肺・心臓などの臓器標本:東京大学農学資料館
東京大学農学資料館には、上野英三郎博士の胸像も展示されています。
ハチ公のお墓はどこにある?

撮影:Lombroso/Wikimedia Commons/パブリックドメイン
ハチ公の墓は、東京都港区の青山霊園にあります。
上野英三郎博士の墓のそばに、ハチの墓が設けられています。
ハチの皮は剥製として国立科学博物館に残されていますが、青山霊園には博士とハチを偲ぶ墓があります。
生前、二人が一緒に暮らせたのは約17か月でした。
現在は、博士の墓のそばでハチも眠っています。
東京大学には「再会の像」がある
東京大学農学部の弥生キャンパスには、「ハチ公と上野英三郎博士像」があります。
ハチ公が亡くなってから80年となる2015年3月8日に除幕されました。
渋谷駅前のハチ公像が、主人を待つ姿を表しているのに対し、東京大学の像は、博士を見つけて喜んで飛びつくハチと、それを笑顔で迎える博士を表現しています。
東京大学は、この像が「人と動物の相互敬愛の象徴」として愛されることを願うと説明しています。
長く待ち続けた物語の、もう一つの結末を表した像といえるでしょう。
ハチ公ゆかりの場所
渋谷駅前・忠犬ハチ公像
現在の像は1948年に建てられた2代目です。
渋谷駅を代表する待ち合わせ場所になっています。
東京大学・ハチ公と上野英三郎博士像
上野博士とハチが喜びながら再会する姿を表した像です。
東京大学農学部の弥生キャンパスにあります。
東京大学農学資料館
ハチ公の肺、心臓、肝臓、脾臓などの臓器標本と、上野博士の胸像が展示されています。
国立科学博物館
ハチ公の実物の剥製が、日本館2階北翼に常設展示されています。
※展示状況や開館日は、国立科学博物館の公式サイトでご確認ください。
青山霊園
上野博士の墓のそばに、ハチ公の墓があります。
秋田県大館市
ハチ公が生まれた故郷です。
大館駅前の「秋田犬の里」など、秋田犬やハチ公に関する施設があります。
ハチ公の物語をもっと知りたい方へ
『ハチ公ものがたり』
綾野まさるさんの『ハチ公ものがたり』は、上野英三郎博士との出会いから、博士の死後も渋谷駅へ通い続けたハチの生涯を描いた物語です。
ハチ公生誕100周年に合わせて刊行された、挿絵入りの読みやすい一冊。ハチ公の実話を、資料としてではなく、ハチの気持ちに寄り添いながら物語として知りたい方に向いています。
1987年に公開された映画『ハチ公物語』は、ハチと主人の絆を描いた作品です。
藤井風さんも、楽曲「Hachikō」を完成させる前に、この映画を鑑賞したとコメントしています。
ハチ公についてよくある質問
藤井風「Hachikō」にも描かれたハチ公
藤井風さんは、忠犬ハチ公と主人が天国で再会するという物語をもとに、楽曲「Hachikō」を制作しました。
楽曲にはハチ公の忠誠心への敬意だけでなく、アルバムを待ち続けたファンへの感謝も重ねられています。

まとめ
忠犬ハチ公は、1923年11月に秋田県大館市で生まれた秋田犬です。
飼い主の上野英三郎博士と一緒に暮らせた期間は、約17か月でした。
それでも博士が亡くなったあと、ハチは約9年10か月にわたり、朝夕に渋谷駅へ通い続けました。
駅で食べ物をもらうこともあったかもしれません。
しかし、それだけでハチの長年の行動すべてを説明することはできません。
ハチ公を世に知らせた斎藤弘吉は、ハチにあったのは人間的な「恩返し」ではなく、かわいがってくれた主人への純粋な愛情だったと考えていました。
大切な人にもう一度会いたい。
自分を愛してくれた相手の姿を探したい。
ハチ公の物語が今も多くの人の心を動かすのは、そこに人間と動物の間に生まれた、まじりけのない愛情が感じられるからではないでしょうか。
主な参考・出典
- 大館市公式サイト「秋田犬」――出生地、生い立ち、上野博士との暮らし、年表
- 東京大学「東大ハチ公物語」――上野博士との関係、博士の死後、渋谷駅へ通った経緯、銅像
- 東京大学「新たに判明した忠犬ハチ公の死因について」――フィラリア症、悪性腫瘍、胃の竹串
- 東京大学「上野英三郎教授の胸像展示」――上野博士の経歴と功績
- 東京大学「農学資料館」――ハチ公の臓器標本の展示
- 渋谷区立図書館「ハチ公について知りたい」――銅像、墓、剥製
- 国立科学博物館『milsil』第96号――ハチ公の剥製の展示場所
当サイトはRakuten ,Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です






