藤井風さんの最新アルバム「Prema」から先行リリースされた楽曲「Hachikō」は、日本の忠犬ハチ公の物語をモチーフにした感動作です。
この記事では、楽曲の歌詞に隠された深いメッセージと、実在のハチ公の物語について詳しく解説します。

この記事を読む前に知っておきたいこと
「Hachikō」は英語詞がメインながら、「どこに行こう、ハチ公」という日本語フレーズが印象的な楽曲。藤井風さん自身がベジタリアンであることを公表しており、動物への深い愛情を持つアーティストとして世界で注目されているわん。
藤井風「Hachikō」の歌詞が描く愛の物語
楽曲に込められたメッセージ
藤井風さんの「Hachikō」は、「忠犬ハチ公は、亡くなった飼い主を10年間待ち続け、ようやく天国で会うことができた。」というコメントが示すように、天国での再会をテーマにした希望の歌です。
注目すべき歌詞のポイント:
- “You’ve been patiently waiting for me” – 「君はずっと辛抱強く僕を待ってくれていたね」
- “Doko ni iko Hachiko” – 「どこに行こう、ハチ公」
- “This time I’ll never let you go” – 「今度は絶対に君を離さない」
この楽曲は一貫して天国の主人が愛犬に語りかけるような目線で描かれていることが特徴的です。

歌詞に隠された深い意味
繰り返される「どこに行こう、ハチ公」というフレーズは、主人の死に縛られてどこへも行けなかったハチ公が、死後の世界で主人に会えたことで、もうどこへでも自由に行けるようになったことを表現しているんにゃん。
ファンへの愛情も込められた楽曲
藤井風さんは「この曲は忠誠心に対する尊敬の念が込められているし、それは僕の3rdアルバムを辛抱強く待ってくれているファンのことのようでもある!笑」ともコメントしており、待ち続けるファンへの感謝の気持ちも表現されています。
実在の忠犬ハチ公の感動実話
ハチ公と上野英三郎博士の運命的な出会い
ハチ公は秋田犬で、大正12年(1923年)11月10日、秋田県大館市大子内(おおしない)の斎藤義一宅で、父:大子内山号、母:胡麻号の間に生まれました。
運命的な出会いの経緯:
ちょうどそのころ、東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士が、純系の日本犬を捜していました。それを聞いた博士の教え子の世間瀬千代松氏は、部下・栗田礼蔵氏の知り合いの斎藤宅から子犬をもらうことを思い付いたのです。
大正13年1月14日、こうして生後50日前後の幼犬が上野博士のもとへ送られました。幼犬は、博士と共に食事をするほど可愛がられ、「ハチ」と名付けられました。

秋田犬について
秋田犬とは、秋田県原産の日本犬の一種で、国の天然記念物に指定されているのよ。大型犬ながらおっとりした表情とふわふわの毛並み、さらに飼い主への忠誠心の高さから世界中に熱烈なファンを持っているわよ

ハチ公の飼い主と家族事情


上野英三郎博士について:
- 日本の農学者、農学博士、東京帝国大学教授
- 日本の農業土木、農業工学の創始者
- 近代農業土木の祖といわれる偉大な学者
- 八重子夫人と事実婚関係(実家の反対により入籍せず)
- 実子はなく、養女のつる子とその家族が同居
- 大の愛犬家で、ハチの前にもたくさんの犬を飼っていた
- ハチが来た時点ですでに「ジョン」と「エス」という2頭のポインター犬を飼っていた。先輩犬のジョンは特にハチの面倒見が良かった

悲しい事実
上野博士が急逝した後、八重子夫人は入籍していなかったため遺産相続ができず、愛情込めて暮らした家も失ってしまいました。当時の法律では、事実婚の配偶者には相続権がありませんでした。
ハチ公の食事と生活
上野博士との生活時代(1924-1925年):
- 博士と一緒に食事
- 体の弱かったハチを自分のベッドの下に寝かせるなど細心の注意
- 愛情たっぷりの生活
博士没後の移住期間:
ハチは親戚の家を転々とした後、植木職人の小林菊三郎氏が引き取りました。
小林菊三郎氏について:
上野博士邸に出入りしていた植木職人で、博士の生前から庭の手入れを担当していたため、ハチ公とも面識がありました。ハチは、上野博士に恩のある植木職人に飼われることになった
小林菊三郎氏のもとでの生活(1927-1935年):
- 小林氏はハチを大切に世話し、食事として牛肉を与えていました
- ハチの健康管理もしっかりしており、空腹になることはありませんでした
- それでも毎日渋谷駅に通い続けました

食事の真実
渋谷駅で人々から餌をもらえるようになったのは、新聞で美談として報道された最後の2年間のみ。それ以前の7年間は、駅員や周辺の人々から邪険に扱われ、時には暴力を受けることもありました。
ハチ公が駅に通った本当の理由:
ハチ公は決して食べ物目当てではなく、純粋に愛する上野博士を待ち続けていたのです。

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館, パブリック・ドメイン,
二人の絆の深さ
上野博士とハチ公の一緒に過ごした期間はわずか17ヶ月間。それでも築かれた絆は、ハチ公の生涯を通じて変わることがありませんでした。
「ハチ公博士」が語る親子のような関係
「ハチ公博士」として知られる白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の学芸員、松井圭太氏は、ハチ公について最も詳しい研究者です。2013年に『ハチ公展』を担当し、わずかな糸口から関係者を探し、聞き取り調査を重ねてハチ公の真実の物語を明らかにしました。
松井氏は、上野博士とハチ公の関係について次のように語っています:
「ハチ公にとって上野先生はお父さんのような存在だった」
上野博士のハチ公への深い愛情
松井氏の調査によると、上野博士はハチ公に特別な愛情を注いでいました:
- 上野博士は「大の犬好きで、つねに何匹も犬を飼っていました」
- 秋田から長時間の列車で運ばれて衰弱していたハチ公を見て、博士は心配でたまりませんでした
- 「毎日自分のベッドで一緒に寝た」
- 自分が不在の間は書生さんに「よくご飯を食べた」「熱を出した」など、その日ハチ公がどんなふうに過ごしたかという詳細な日記をつけさせた
- 細心の注意を払って「大変かわいがり育てていました」
3匹の犬たちの日常
ハチが家に来た時、上野家にはすでに「ジョン」と「エス」という2頭のポインター犬がいました。松井氏によると:
- 3匹が一緒に、渋谷の松濤にある上野博士の家から駒場の大学まで、毎日送り迎えをしていました
- 先輩犬のジョンは特にハチの面倒見が良かったと記録されています
- 博士の教え子たちは「先生の飼い犬を呼び捨てにすることをはばかり、『ハチ公』と呼んで敬意を表していた」
特別な絆を示すエピソード
上野博士は農業土木という学問を作った人で、出張も多かったようです。出張に出ると何日も戻りませんでした。賢かったといわれるハチ公はおそらく、駒場に行かない日は、あるいは博士が何日も家に帰ってこない日は、渋谷駅で待っていれば博士に会えると理解していたのではないかと考えられています。
実際、生前の上野博士が帰宅の日時を家族にも伝えずに出張に出た際、渋谷駅に戻ってくるとそこにハチ公が待っており、博士は大変喜んだということがありました。
八重子夫人の愛情ある決断
上野博士を亡くした後、八重子夫人もハチ公を深く愛していました。世田谷の家からハチ公が渋谷に通い続けていることを知った夫人は、こう考えました:
「ハチは上野先生に会いたいと思い、あるいはなつかしい渋谷へ帰りたいと思い、渋谷に行っているのだ」
夫人はハチ公のことが大好きだからこそ、ハチ公の幸せを第一に考え、渋谷に帰すことを決断しました。この決断もまた、上野博士から受け継がれた無償の愛の表れでした。

突然の別れと10年間の待ち続ける愛
1925年(大正14年)5月21日、博士が大学の講義中に脳溢血で倒れて急死し、突然の別れが訪れたのは、ハチが上野に飼われ始めて17か月の時でした。
ハチ公の忠誠心の真実:
哲学者の高橋庄治は当時、上野英三郎の近所に住んでおり、渋谷駅で待つハチも目撃しているが、上野は大学教授という職業柄、通勤時刻が不規則な上、ハチも通勤に関係無い時間帯に駅近くをぶらぶらしていたという証言もありますが、それでもハチ公が駅に通い続けた理由は純粋な愛情にありました。
ハチ公が有名になるまでの知られざる真実

最初の7年間:誰にも理解されない孤独な日々
多くの人は知らないかもしれませんが、ハチ公が愛される存在になるまでには長い苦難の道のりがありました。
1925年5月〜1932年10月(約7年半)の間:
最初の頃、渋谷駅でのハチの扱いは冷たいものでした。駅の利用者にとって改札の目の前に座る大きな秋田犬は迷惑な存在で、「邪魔だ!」と怒鳴られたり、蹴られたりしていました。何の事情も知らない人からは「汚い犬だ」と追い払われることも日常的でした。

7年間の孤独な待ち時間
ハチが新聞で紹介されたとき、すでに約8歳11ヶ月の老犬になっていました。記事のタイトルも「いとしや老犬物語」で、「今は亡き主人の帰りを待ちかねる7年間」と紹介されていたにゃん。
1932年10月4日:運命を変えた新聞記事

日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉氏が、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、東京朝日新聞に「いとしや老犬物語」として寄稿したことが転機となりました。
この記事が日本全国に衝撃を与え:
- 翌1933年にも新聞で再び報道
- 1934年には尋常小学校の修身教科書「恩ヲ忘レルナ」に掲載
- レコード、浪曲、踊りなど様々な文化作品の題材に
- 明治神宮外苑での「ハチ公の夕べ」には2000人が集結
ハチの心境を考える深い洞察
現代の私たちが考えるべきは、ハチが上野博士の死をどう理解していたかです。
博士が亡くなった日:
ハチは上野博士の最後の着衣を置いた物置にこもって3日間何も食べませんでした。この行動から、ハチは博士の死を感覚的に理解していた可能性が高いと考えられます。
それでもなぜ渋谷駅に?
ハチの賢さを示すエピソードがあります。普段は松濤の自宅から駒場の大学まで博士と一緒に徒歩20分で通勤していました。しかし博士が出張の時だけは渋谷駅を使用していました。
数日間博士が帰ってこない状況を「出張」と判断し、出張から帰る時に使う渋谷駅で待つという論理的な行動を取っていたのです。

ハチの深い愛情
斎藤弘吉氏は語っていたにゃん:「ハチの心を考えると恩を忘れない、恩にむくいるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分をかわいがってくれた主人への、それこそまじりけのない、愛情だけだったと思います。」
ハチ公の最期とその後

ハチは昭和10年3月8日、11歳余りで一生を閉じました。ハチは、上野と同じ青山霊園に葬られ、4m四方の竹垣で囲った区画の奥には「東京帝国大学教授 農学博士 上野英三郎墓」と刻まれた墓石がある。右手には小さい祠があり、これがハチの墓である。
ハチ公の現在:
- 死体は、坂本喜一と内弟子の本田晋によって剥製にされ、現在は東京・上野の国立科学博物館に所蔵され、幾度となくメディアにも登場している
- ハチの臓器標本は現在、東京大学農学資料館(弥生キャンパス農正門入ってすぐ右)に展示されており、上野博士ゆかりの場所で永遠に一緒にいます
藤井風の楽曲が現代に伝える普遍的なメッセージ
動物愛護への関心の高まり
藤井風さんがベジタリアンであることを公表していることからも分かるように、現代では動物の権利や福祉への関心が高まっています。
「Hachikō」は単なる美談ではなく、人間と動物の間に存在する無条件の愛について考えさせてくれる楽曲です。

現代における動物愛護の視点
ハチ公の物語は、忠義や忠誠心の象徴として語られることが多いですが、本質は純粋な愛情と絆の物語です。藤井風さんの楽曲は、この本質的な部分にフォーカスにゃん。
「待つこと」の尊さ
今は全部がすぐに手に入る時代。SNSで誰かと繋がれる。感情も言葉も即反応。そんな中で、ただ待つこと、信じること、もがき、そこに在り続けることが、どれだけ難しく、どれだけ尊いか。
ハチ公は7年半もの間、誰にも理解されずに一人で待ち続けました。この忍耐と信念こそが、現代の私たちが学ぶべき価値なのかもしれません。
現代人が学ぶべきこと:
- 即座の反応や結果を求める現代において、忍耐強く待つことの価値
- 無条件の愛を持ち続けることの大切さ
- 信じることの力
ハチ公を題材にした映画・書籍ガイド
映画作品
『ハチ公物語』(1987年・日本映画)
- 監督:神山征二郎
- 脚本:新藤兼人
- 出演:仲代達矢、八千草薫、柳葉敏郎
- 忠犬ハチ公の実話を基に人間と動物の交流を描いた感動作
『HACHI 約束の犬』(2009年・アメリカ映画)
- 監督:ラッセ・ハルストレム
- 主演:リチャード・ギア、ジョーン・アレン
- 1987年の『ハチ公物語』のハリウッドリメイク版
- 舞台をアメリカ東海岸に移し、国際的な感動を呼んだ作品

映画の魅力
日本版では日本的な情緒で描かれたハチ公の物語が、ハリウッド版では普遍的な人間と動物の絆として世界に向けて発信されました。どちらも異なる魅力を持つ名作です。
おすすめ書籍
『東大ハチ公物語』(東京大学出版会)
- 編者:一ノ瀬正樹・正木春彦
- 上野博士とハチ、そして人と犬のつながりについて学術的に考察した一冊
- ハチ公の物語を多角的に分析
『はちこう 忠犬ハチ公の話』(金の星社)
- 作:いしだたけお/絵:くめげんいち
- 子どもから大人まで楽しめる絵本の名作
- 人と動物の心のふれあいを描いた感動作
『ハチ公物語 -待ちつづけた犬-』(講談社青い鳥文庫)
- 著者:岩貞るみこ
- 子ども向けに分かりやすく書かれたハチ公の物語
藤井風「Hachikō」のMV・ライブの見どころ
ミュージックビデオの魅力
MVでは犬の耳をつけた黒い藤井風と後光を背負った白い藤井風が出会ってハグするシーンがあり、これはハイヤーセルフと再会した瞬間の祝福と充足の象徴として表現されています。
MVの注目ポイント:
- モノクロ2役の演技 – 白と黒の対比でハチ公と飼い主を表現
- 渋谷スクランブル交差点 – ハチ公ゆかりの地からスタート
- 東京大学の再会像へのオマージュ – 愛情あふれる再会シーンを再現
話題のテレビパフォーマンス
2025年9月5日、藤井風さんは『ミュージックステーション』に初出演し、渋谷からの生中継という驚きの演出を披露しました。
Mステでの印象的な演出:
- 番組冒頭で渋谷からの生中継で「Hachikō」を披露
- 白い衣装から黒い衣装に変身してバスの上から歌唱
- スタジオに移動後、2曲目「Prema」を歌唱中に記者会見形式の演出
- 地元岡山のドラッグストア「ザグザグ」の歌を披露するサプライズも

🎤 パフォーマンスの意味
この演出は「Hachikō」の楽曲テーマそのもの。ハチ公ゆかりの渋谷から始まり、最終的にスタジオで再会を果たすという構成は、まさに天国での再会を歌った楽曲の世界観を体現していたにゃん。
楽曲の音楽的魅力
レコーディングには藤井風さんのライブにも参加しているベーシスト・小林修己(KOBY SHY)が参加し、テクニカルかつパーカッシブな演奏を披露しています。
ハチ公ゆかりの地巡りガイド
訪れたいスポット
1. 渋谷駅前・忠犬ハチ公像
- 住所:東京都渋谷区道玄坂2丁目1
- 最寄り駅:JR渋谷駅ハチ公口
- 待ち合わせの名所として親しまれる有名な銅像
2. 東京大学農学部・ハチ公と上野英三郎博士像
- 住所:東京都文京区弥生1-1-1(弥生キャンパス)
- 最寄り駅:東大前駅(地下鉄南北線)
- 2015年に建立された「再会の像」
3. 国立科学博物館
- 住所:東京都台東区上野公園7-20
- ハチ公の剥製が展示されている
4. 青山霊園
- 住所:東京都港区南青山2-32-2
- 上野英三郎博士とハチ公が眠る墓所


🗺️ 巡礼のすすめ
藤井風さんの「Hachikō」を聞いた後に、これらの場所を訪れると楽曲への理解がさらに深まります。特に東京大学の再会像は、楽曲のメッセージそのものを表現した感動的な作品です。
まとめ:永遠に続く愛の物語
藤井風さんの「Hachikō」は、この曲が描いているのは「再会の喜びと充足」です。楽曲は天国でようやく再会できたハチ公と上野博士の喜びを歌っており、聞く人の心を温かくしてくれます。
この楽曲が私たちに教えてくれること:
- 無条件の愛の尊さ – 見返りを求めない純粋な愛情
- 忍耐の価値 – 信じて待ち続けることの意味
- 絆の永続性 – 真の絆は死を超えて続くこと
- 動物への敬意 – 人間と動物の対等な関係

最後に
藤井風さんの「Hachikō」は、実在のハチ公の物語を通じて、愛とは何か、絆とは何かを現代の私たちに問いかける珠玉の作品です。動物を愛するすべての人に聞いてほしい、心に響く楽曲となっているわん。









