「残酷」が娯楽だった時代。
一人の議員が嘲笑されながらも訴え続けた言葉――「動物にも、痛みを感じる能力がある」。
1822年、世界を変える法律が生まれた。
「普通の遊び」だった動物虐待

19世紀初頭のイギリス。街の広場では週末になると、人々が集まって歓声を上げる光景がありました。
その中心にいたのは、杭につながれた一頭の牛。そして、次々と放たれる犬たち。牛の鼻に噛みついた犬の持ち主には、高額の賞金が支払われました。
これが「ブル・ベイティング(牛いじめ)」と呼ばれた娯楽です。
13世紀から続くこの「見世物」は、貴族から庶民まで、階級を超えて楽しまれていました。似たような娯楽として、熊と犬を戦わせる「ベア・ベイティング」、闘鶏や闘犬もありました。
「娯楽」という名の組織的な拷問
ブル・ベイティングは、単なる牛と犬の喧嘩ではありませんでした。それは、逃げ場を奪われた動物たちに対する、人間の身勝手な欲望が生み出した残酷なシステムでした。
- 逃げ場のない「杭」: 牛は数メートルの鎖で頑丈な杭に繋がれ、逃げる自由を完全に奪われていました。その状態で、興奮した複数の犬たちに四方八方から襲われるのです。
- 「鼻」を狙う理由: 犬たちは牛の最も敏感な部分である「鼻」や「舌」を噛み、一度噛みついたら、牛がどれほど暴れても決して離さないよう訓練されていました。牛は激痛に耐えかねて悲鳴を上げ、地面を転げ回りましたが、観衆はその姿に熱狂しました。
- さらに残酷な「演出」: 牛がうまく動かなかったり、観衆が退屈したりすると、牛をより興奮させるために、鼻に熱いスパイスを塗り込んだり、棒で突き刺したりすることも日常茶飯事でした。
- 勝敗の代償: 敗れた犬は牛の角で空高く放り投げられ、地面に叩きつけられて命を落としました。生き残った牛もまた、傷だらけの状態で屠殺され、その肉は「興奮して血が回った肉の方が美味い」という迷信のために高値で売られていました。
今の私たちの感覚からすれば、これはもはや「遊び」ではなく、正視に耐えない虐待の極致です。しかし、200年前のロンドンでは、これが家族連れで楽しむ「週末のレジャー」だったのです。
ブルドッグの衝撃的な由来

皆さんは、あの愛らしいブルドッグがどのように生まれたか知っていますか?
実は、ブルドッグはブル・ベイティングのために品種改良された犬なのです。
「ブルドッグ(Bulldog)」という名前自体が、「牛(Bull)」と戦わせる犬という意味です。マスティフ系の犬を何世代にもわたって改良し、牛と戦うのに最適な身体的特徴を持つ犬が作り出されました。
なぜこんな顔と体型なのか?すべてに「理由」がありました:
- 短い口吻と上向きの鼻 → 牛の鼻に噛みついたまま呼吸ができる
- しゃくれた下顎 → 噛みつく力を最大化する
- 短い脚と低い体高 → 牛の角による反撃をかわしやすい
- たるんだ皮膚 → 牛の角で攻撃されてもダメージを最小限に抑える
- 短い首 → 牛が暴れて振り落とそうとしても、遠心力がかかりにくい
- 当時の体重は40kgを超える個体も珍しくなく → 現在よりもはるかに大型で、闘うための筋肉に覆われていました
つまり、今私たちが「可愛い」と感じるブルドッグの特徴的な外見は、すべて牛と戦って勝つために人間が作り出したものだったのです。
そして救済の物語
1835年、マーティン法が拡大されてブル・ベイティングが違法となると、ブルドッグは存在理由を失い、絶滅の危機に瀕しました。
しかし、愛好家たちが立ち上がり、時代に合わせた改良を行いました。攻撃性を抑え、体を小さくし、温和で穏やかな性格の犬へと生まれ変わらせたのです。
現在、ブルドッグは「勇気」「不屈」「忍耐」の象徴としてイギリス国犬に指定され、イギリス海軍のマスコットにもなっています。残酷な過去から、愛される家族の一員へ――ブルドッグの歴史そのものが、動物福祉の進歩を物語っているのです。

💭 当時の人々の声 「牛や犬を戦わせるのは伝統的な娯楽だ。何が悪いのか?」 「動物は人間のために存在しているのだから、問題ない」
今の私たちが聞けば耳を疑うような言葉ですが、これが当時の「常識」だったのです。
そして産業革命が進むにつれ、状況はさらに悪化していきました。
産業革命が生んだ「目に見える虐待」
18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスは急速な産業革命を迎えました。
マンチェスター、バーミンガム、リヴァプールといった新興工業都市が次々と誕生し、農村から職を求めて人々が流入。都市人口は急増し、1750年代に25%だった都市人口比率は、19世紀半ばには75%に達しました。
この急激な都市化は、動物虐待の問題をより深刻化させました。
馬は輸送手段として酷使されました。
ロンドンには約30万頭もの馬が働いており、過重労働、不十分な餌、劣悪な環境に置かれていました。馬車を引く馬が倒れても、鞭で打たれ続ける光景は日常的でした。
当時のロンドンの状況(1820年代)
- 人口: 約150万人(急速な都市化の真っ只中)
- 馬の数: 約30万頭
- 劣悪な環境で働く馬、虐待される家畜の数は計り知れませんでした
都市化によって、それまで農村に散在していた動物虐待が、都市という限られた空間に集中し、「目に見える問題」となったのです。
市場では家畜が過密状態で運ばれ、殴られ、蹴られ、適切な餌や水も与えられずに放置されました。
思想家たちの先駆的な声

このような状況に、18世紀の思想家たちは警鐘を鳴らし始めていました。
ジャン=ジャック・ルソーは、「動物は感覚を持つ存在であり、無益に虐待されることのない権利を有する」と述べました。
そして最も影響力があったのが、功利主義の創始者ジェレミー・ベンサム(1748-1832)の言葉です。
✨ ベンサムの有名な言葉
「問題となるのは、理性を働かせることができるかということでも、話すことができるかということでもない。苦しむことができるかということである」 -『道徳および立法の諸原理序説』より
ベンサムは、人間も動物も「快楽を求め、苦痛を避ける」という点で同じであり、苦痛を感じる存在の幸福は、すべて道徳的に考慮されるべきだと主張しました。
これは当時としては極めて革新的な考え方でした。なぜなら、動物は「理性がない」「言葉を話せない」という理由で、道徳的配慮の対象外とされていたからです。
しかし、思想だけでは現実は変わりません。実際に法律を作り、社会を変える人物が必要でした。
リチャード・マーティン――嘲笑された改革者

その人物こそが、リチャード・マーティン(1754-1834)でした。
アイルランド・ゴールウェイの大地主として生まれたマーティンは、イギリス議会の議員でした。後に国王ジョージ4世から「ヒューマニティ・ディック(人道のディック)」というニックネームを与えられるほど、動物保護に情熱を注いだ人物です。
彼の母親は多くのペットを飼う動物愛好家で、幼い頃から動物への思いやりを教えられて育ちました。
1800年、最初の動物虐待防止法案が議会に提出されましたが、否決されました。
しかしマーティンは諦めませんでした。
議会での嘲笑
1822年、マーティンは新たな法案「家畜の虐待及び不当な取り扱いを防止する法律(Ill Treatment of Cattle Bill)」を提出しました。
議会の反応はどうだったでしょうか?
彼は嘲笑されました。
政治風刺画には、マーティンがロバの耳をつけた姿で描かれました。「動物のために法律を作るだと? 馬鹿げている」という声が飛び交いました。
⚠️ 当時の反対意見 「動物のための法律など時間の無駄だ」 「労働者階級の娯楽を奪うつもりか」 「次は馬が議会に立候補するのか?」
しかし、マーティンは訴え続けました。
「動物には痛みを感じる能力がある。無益な苦しみから保護されるべきだ」
歴史的な瞬間
1822年5月24日、下院での第二読会。投票の結果は――
賛成29、反対18。法案は可決されました。
その後、上院も通過し、6月22日、国王の承認を得て、世界初の動物虐待防止法「マーティン法」が成立しました。
📜 マーティン法の内容
- 対象: 牛、馬、羊などの家畜
- 禁止行為: 残酷な扱い、不適切な扱い
- 罰則: 罰金または懲役
- 世界初の動物福祉に関する近代的な法律
法律が実際に機能した証
法律ができても、実際に執行されなければ意味がありません。
マーティンは法律の執行にも熱心でした。彼は自らロンドンの街を歩き回り、虐待の現場を見つけては、加害者を告発しました。
初の裁判:法廷に立った「もの言わぬ証人」
1822年、ロンドンの行商人ビル・バーンズが、自身のロバを激しく殴打している現場が目撃されました。 マーティンは彼を即座に告訴しましたが、当時の法廷では「動物の被害」を立証することは極めて困難でした。
そこでマーティンは、驚くべき行動に出ます。 なんと、虐待されたロバそのものを法廷に連れてきたのです。
証言台の前に引かれてきたロバの姿は、見るも無惨なものでした。 あばら骨が浮くほど痩せこけ、体には生々しい新しい傷跡があり、毛は血で固まっていました。
当初、動物の裁判など馬鹿げていると冷ややかだった裁判官や傍聴人たちも、その痛々しい姿を目の当たりにして言葉を失いました。 ロバは一言も語りませんでしたが、その傷こそが虐待の「動かぬ証拠」となったのです。
判決:有罪。罰金刑。
これが、世界で初めて法律によって「動物虐待」が裁かれた歴史的な瞬間でした。

💭 マーティンの行動 マーティンは時に、経済的に困窮している違反者の罰金の半額を自ら支払うこともありました。彼の目的は「罰すること」ではなく、「動物虐待をなくすこと」だったのです。
法律が成立した初年度だけで、63名が告発され、147件の有罪判決が下されました。法律は単なる象徴ではなく、実際に機能していたのです。
世界への波及――運動の始まり
法律の成立から2年後の1824年、マーティンは仲間とともにSPCA(動物虐待防止協会)を設立しました。
この協会の目的は、マーティン法の執行を支援し、動物虐待の告発を行うことでした。
1840年、ヴィクトリア女王から「王立(Royal)」の称号を得て、RSPCA(王立動物虐待防止協会)となりました。現在も世界中で活動を続けている、世界最古の動物保護団体です。
🌍 世界への影響
- 1835年: イギリスで法律が拡大され、犬、猫、ブル・ベイティング、闘鶏も禁止
- 1850年: フランスで「グラモン法」制定(マーティン法の影響を受けた動物保護法)
- 1866年: アメリカでASPCA設立
- 1902年: 日本で「動物虐待防止会」設立(イギリスのSPCAを模倣)
マーティン法は、諸外国の動物保護法制に大きな影響を与え、世界中に動物保護運動が広がっていきました。
なぜイギリスだったのか――3つの理由
では、なぜ世界初の動物虐待防止法がイギリスで生まれたのでしょうか?
理由1: 産業革命による都市化
前述の通り、産業革命によって動物虐待が「目に見える問題」となりました。農村では散在していた虐待が、都市に集中したことで、上流階級の目にも止まるようになったのです。
理由2: 社会統制への関心
当時のイギリスでは、「動物虐待を行う者は、人間に対しても暴力的になる」という考え方が広まっていました。
動物虐待防止は、単に動物を守るためだけでなく、社会全体の道徳性を高め、秩序を維持するための手段としても理解されていました。
18世紀後半から、児童書を通じた道徳教育が広がり、その中で奴隷問題と並んで動物虐待問題が取り上げられていたことも、背景にあります。
理由3: 議会制度と市民社会の成熟
イギリスには、市民が議会を通じて改革を実現できる制度的基盤がありました。
マーティンのような個人が、議員として法案を提出し、議論を経て法律を成立させることができたのです。これは当時の他の国々では必ずしも容易ではありませんでした。

🤔 考えてみましょう もしマーティンが諦めていたら、動物虐待防止法の成立は何十年も遅れていたかもしれません。一人の人間の「おかしい」という声が、世界を変える第一歩になったのです。
200年後の今――何が変わり、何が変わっていないのか
1822年から200年以上が経ちました。
ブル・ベイティングや闘鶏は、多くの国で違法となりました。動物福祉の法律は世界中に広がり、ペットを家族として大切にする人も増えました。
しかし、本当に動物虐待はなくなったのでしょうか?
姿を変えた虐待
工場畜産では、狭いケージに閉じ込められた鶏、身動きできない豚、生涯太陽の光を浴びることのない牛が、今も世界中に何十億頭もいます。
毛皮産業では、美しい毛皮のために、キツネやミンクが小さなケージで一生を過ごし、苦痛を伴う方法で殺されています。
動物実験では、化粧品やその他の製品のために、毎年数百万匹の動物が苦しんでいます。
💔 200年前と今
- 200年前: 牛をいじめる「娯楽」
- 今: 消費のための「システム化された苦痛」
形は変わっても、動物の苦しみは続いています。
私たちができること
では、200年前の先駆者たちが始めた運動を、私たちはどう受け継げるでしょうか?
1. 知ること
- 食べ物がどこから来るのか、どのように生産されているのかを知る
- 動物福祉の問題について学ぶ
2. 選ぶこと
- 動物福祉に配慮した製品を選ぶ
- 工場畜産ではなく、放牧で育てられた動物の製品を選ぶ
- 動物実験をしていない化粧品を選ぶ
- あるいは、植物性の食品を選ぶ
3. 声を上げること
- SNSで情報を共有する
- 企業に動物福祉への配慮を求める
- 動物保護団体を支援する

✨ マーティンから学ぶこと マーティンは嘲笑され、馬鹿にされても、訴え続けました。 「おかしい」と感じたことを、「仕方ない」で終わらせなかった。 その勇気が、世界を変える第一歩になったのです。
まとめ――歴史は私たちに何を問いかけるのか
1822年、イギリスで世界初の動物虐待防止法が生まれました。
それは、一人の議員が嘲笑されながらも訴え続けた結果でした。
産業革命による都市化が動物虐待を可視化し、功利主義などの思想が動物の苦痛を道徳的に考慮すべきだという基盤を作り、議会制度がその実現を可能にしました。
そして200年後の今――
牛いじめの娯楽はなくなりましたが、姿を変えた虐待は続いています。
マーティンが訴えた「動物には痛みを感じる能力がある」という事実は、今も変わっていません。
私たちは200年前の先駆者たちと同じ選択を迫られています。
「おかしい」と感じたとき、見て見ぬふりをするのか。それとも、声を上げるのか。
歴史は、私たちに問いかけています。
参考文献・出典
学術論文・資料
- 「マーティン法」の余波 一九世紀イギリスにおける動物福祉の法制化と世論形成 – CiNii Research
- 19世紀イギリスにおける「社会統制」としての動物虐待防止規制 – 北海道大学
- 資料4「動物の愛護管理の歴史的変遷」 – 環境省
- 欧州におけるペット動物保護の取組みと保護法制 – 国立国会図書館
国際機関・団体
- Richard Martin (Irish politician) – Wikipedia
- Martin’s Act – Chart2050
- How Ireland produced the world’s first animal anti-cruelty laws – RTÉ Brainstorm
- 動物利用と動物擁護活動の歴史 – NPO法人動物解放団体リブ
日本の動物愛護史
- 動物愛護とは? – 財団法人公益神奈川県動物愛護協会
- 近代的動物愛護運動の始まり – 愛玩動物飼養管理士試験対策ノート
ブルドッグの歴史
この記事を読んで、何か感じたことはありますか?
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